すのおさるブログ snowsaruBlog

目下の目標:海外旅行、恋人を作る、友達とご飯を食べる、顔ちっちゃくする

このために伊豆に行く【Bistro KEN】

私はしばらく伊豆でリゾートバイトをしていた時期があったのですが、その短期間でいくつものご飯屋さんを開拓してきました。

そんな数ある伊豆のご飯屋さんを紹介するにあたって、私的堂々のNo.1のお店。さっそく登場!!

 

Bistro KEN

オーナーは料理人かつ狩猟人!?

このビストロケンのオーナーさん、実は伊豆に魅了されて移住してきた方でかつ狩猟人。以前は東京の5つ星ホテルなどで料理修行をされたご経験もあるみたいで、料理の味は間違いなしです。

(2,3度目の来店の時、ふと「この人にもし命を狙われたら一瞬で終わるよな~…」なんて考えてしまった。)

 

 

見た目のインパクトで食べる前からワクワクが止まりません

お店のメニューには写真が付いておらず、出てくるまでのお楽しみ。

特に骨付きのジビエカレーは出されたときに誰もが歓声を漏らすくらいのインパクトがあります。

写真じゃ伝わりきらないこのインパクトとボリューム感と漂ってくる素晴らしく良い匂い。ぜひ実際に行かれてその幸福感を感じてください。

 

 

お肉ホロホロお米はもちもち野菜もトロトロ

使われているジビエ肉、もうとにかく柔らかいです。骨からスルッと取れるのでストレスなく食べられるし、スプーン一本だけでルーもお米もお肉も綺麗に食べきれちゃいます。

そしてお米も白米ではなく、もち麦玄米ご飯。しかもおかわり自由~~!これは嬉しすぎる。(お米の種類は恐らく定期的に変わっているので、絶対もち麦玄米という訳ではない。)白米ではないからこそ、よりジビエ肉やお野菜の美味しさをストレートに感じられます。

添え物の野菜までもが本当に美味しくて、お皿の端から端まで美味しく頂けます。

 

 

優しいオーナーさん

お米のおかわり欲しいかも…と迷っているとすぐさま来てくれるオーナーさんのおかげで、毎回おかわりをしてしまっています。とても気さくで優しい素敵なオーナーさんです。

 

 

店内の装飾も凝ってて素敵だよ

決して広い店内ではないですが、松ぼっくりが吊るしてあったりお手洗い周りも綺麗にされていたりと、店内のどこを見ても安心感があります。

オーナーさんの狩猟の様子を写真に収めたアルバムも置いてあるので、待ち時間も気にならない!むしろ料理に対するワクワクが増す。。。

 

 

メインのジビエにも引けを取らない絶品デザートで〆る

「美味しかったな~!ジビエもお腹いっぱい食べたし、帰ろうかな」

そんなあなた、ちょっと待って。

このビストロケンは、デザートもめちゃくちゃ美味しいのです。これを食べずに帰るのは本当にもったいない。

お店のおすすめはジェラートですが、私のおすすめはバニラアイスが添えられたティラミス!

どのデザートもきちんと丁寧に作られていて、ティラミスは下のスポンジにちゃんとお酒が染みてて、ほんのりお酒の香りがします。そして見た目も美しい!(バニラアイスが添えられてるのも嬉しい。)

R65という伊豆のジェラート屋さんのジェラートを食べられます。季節によって種類は変わるよう。

 

 

「今日は金欠…。」そんなときはジビエパスタ!

カレーがお店の一押しかなと思うのですが、こだわってつくられているだけあって決して気軽に週に何回も食べられるお値段ではないんです。(2023年時点では¥2,000)

今日だけはお金がないんだ・・・

そんなときはジビエのパスタはどうですか?

カレーより安価でこちらもジビエ料理を堪能できます。

ちなみにどうしてもカレーが良い!という人は、骨付きではないジビエカレーもあります!こちらは骨付きに比べるとお安くて少量なので気軽に食べに行きやすいです。

(ただそれでも行く価値がありますし、実際私も短期間で3回もお店に行ったとさ~)

 

行くなら今。だがネットでも頼める!

ここまで書かせていただいたんですが、本当に美味しいのでぜひ伊豆に足を運んだ際は立ち寄ってほしい。

店内も広くはないので、広くお店が知られるようになったら待ち時間ができそうだなと思うのですが、恐らくまだ今ならほとんど待ちなしで入店できると思います。

つまり、今いくしかない!

のですが、足を運ぶのが難しい方はネットでも販売をしているのでぜひ!

kenbistro.base.shop

伊豆の美味しいパン屋さん「あぷれ」

美味しいかつ自分の好みのパン屋さんに巡り合うのってかなり難しいと思っているのですが、伊豆で見つけました。

 

【パン工房 あぷれ】

www.yamamo-plaza.com

 

お店の公式のおすすめ商品は生食パンやアップルパイですが、私の一押しは黒いカレーパン!

黒い生地にサクサクのパン粉がついていて、ひと口かじると中にはコロッケのように衣をまとったカレーあんがたっぷり入っています。

そのおかげで、カレーパンにほんの時々みられる「パン生地と中のカレーがなんか分離してて別々に食べてるみたい…。パン生地がくどい…。」

みたいにならずにちゃんと一つの「カレーパン」というものとして最後まで美味しく頂くことができます。

 

そして私があぷれのパンを推す理由のもう一つは「パンの見た目が綺麗」だから。

と言いつつパンはそもそも茶色の食べ物だし、加熱すると多少の個体差が出るのは当たり前なので別にそこまでの美しさは求めているつもりはなかったのですが、あぷれのパンを見たときどのパンも同じ色・形をしていて均一なことに驚きました。

商品棚に陳列されているところは、見ているだけで楽しいです。

 

最後の推しポイントは、毎月出る新商品!

行くたびに新しい商品が並んでいるのでつい気になって足を運んでしまいます。行くたびに、定番にするか新商品にするか悩む!

 

写真を撮っていないのが悔やまれるのですが、写真を撮るより先に食べたくなるくらい美味しそう、ってことです。

大人の休息地伊豆に行った際は、ぜひ伊豆高原駅のパン屋さん『あぷれ』にお立ち寄りください!

村山美羽が恋愛ソングのCに立つ意味

櫻坂46

『何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう』

 

最近、ぐんぐん勢いを増している櫻坂46。

その中でも、加入1年目にしてグループに欠かせない存在になった櫻坂3期生が歌唱する『何度 LOVE SONGの歌詞を読み返しただろう』のMVでオタクが騒ぐだけのブログです。

兎にも角にも、まずはお時間があればぜひフルMVを一度見て欲しい。

櫻3期はライト層にも優しい、わかりやすさのあるアイドルなので簡単に沼に入れます。。。

 

 

まず冒頭のイントロの美羽ちゃんのダンスですよ。

ダンスを0から100に持っていくまでのスピード感と、紐みたいに動作にしなやかな流れがあるから、キレがあるのに余韻もある。

あとスポットライトが当たって一人踊ってるこの画も、他メンバーとの対比が綺麗で目を引きます。


 

3期が受け継ぐ制服衣装

始まった瞬間に「制服衣装やん(しかもかなり正統派の)」ってなりますよね。嬉しいですよね。

櫻坂に改名してからというものなかなか制服衣装はなく、それを寂しく感じるときもありました。

しかし3期が加入してからというもの3期生がそれを着ることがかなりあり、今回も制服衣装だったわけですが、ハーネスや派手な装飾があまりないセーラー服型のものだったので余計に嬉しかったです。

 

そんな風に浸っていたらですね、歌い始めに美羽ちゃんの低音ボイスが来るわけですね。「ああーーそうなのか、そんな歌声なのか!」

と思っていると唐突な魚眼レンズショット!!!迫りくる純葉ちゃんもニコニコしててかわいいし、天井からのショットもいいなぁ。


窓が雨で汚れたままで

序盤の中で驚いたカット。

水垢の残る窓越しに、初々しさのまだ残るぴかぴか3期生を映したことに驚き。

 

優ちゃんの細部への意識の素晴らしさ

サビ前の机に上半身を預けるシーンからの立ち上がりの振りなんですけど、これ優ちゃんがかましちゃってる。改めてこの子やばいなって思いました。

他のメンバーより、身体の預け方ががっつり乗ってて、そっからの顔を沈めてダウン、立ち上がるアップがめちゃめちゃ深いーーーすぎょい。


1:20前後からのズームイン・アウトのカットもいいですよね。。画に動きが出る。

1:24の美羽ちゃんのプリティーさが素晴らしい。可愛らしい表情を作り込んでる感じはあまりしないのに、胸がきゅっとなるような可愛らしさに溢れてんのよ。

 

 

よってたかってエキセントリック

そして2:00からのシーンはやっぱり思い出しますね。

私はこの表現を、『見えていない(いるはずのない)他者からの視線や意識だったり自分を俯瞰する目線、それらを必要以上に過剰に感じてしまう』という意味があるのかなと受け取っているのですが、学校や学生環境の特有であるこの感じ方を、それを演じるにふさわしい3期生が表現してくれたこと、勝手にとても嬉しく思いました。

 

 

カットで照明が切り替わるようにするのではなく、ワンカット回している間に照明を変化させていくのが、心の移り変わりと時間の移り変わりを表しているようで素敵。


 

 

 

 

3:08からのヨリの画のときにみんなの表情が違うのも面白い。

恋が楽しくてしょうがないみたいなワクワクした表情のメンバーもいれば、切ない表情で一点を見つめているメンバーもいて、ここは何回も巻き戻して見たいシーン。

 

かわいいだらけ

この代わる代わるメンバーが捌けて出てくるシーンがまぁ当たり前に可愛いんですけど、特に最初のりかちゃんの癒され度満点の笑顔と、えんりこのちょっぴり不器用さ漂う動きがかわいいいいい。刺された。


 

フロント経験者2人

3:38でみんなで歌詞をわっと撒いたあと紙が舞う中ステップ踏んで前に出てきて、更に足元に紙が散っている中また後ろに戻るという、かなり忙しいかつ危ない移動をこなしているのが愛李&瞳月。その中でも3:52で愛李ちゃんが見せた、後ろの机に戻って腰掛けたときのポージングのシルエットには思わず唸りました。かなりの移動距離のすぐあとなのに、頭は机につけて腰は背筋と腹筋使ってしっかり支えて、かつ足は直角に上げて、、というかなり大変そうなことしてる。(と思う。)

 

 

流れを止めないダンス

ここの美羽ちゃんの歌詞が書かれた紙を目線まで持っていくときに、下からスッと上に上げるだけじゃなくて、振りがずっと繋がっているみたいに、手を遠いところから引き寄せて目線まで持ってくる動きが好き。

 

 

 

恋愛ソングのセンターに美羽ちゃんが立つ意味

まず今作センターの美羽ちゃん、おめでとう!

村山美羽という人が恋愛ソングのセンターに立ち表現しているということ自体が、この楽曲の強みであり、単なるアイドルの恋愛ソングとの違いを生んでいると思います。

そして、個と全体の対比の付け方がグッドバランスなMVでもある。

例えば美羽ちゃんが取り囲まれながら歌い踊るシーンもあれば、全員で教室をめいいっぱいに使いながら踊ったり歌い繋いだりするシーンもあり、かと思えば美羽ちゃん以外のメンバーを黒子的に使ったり。

メンバー全員に視線がきちんと行く中で、きちんとセンターが際立っている。その対比の見せ方も美しい。。

なにより、これからのツアーで披露されるのが楽しみですね!

そして何回もMVを見返していて目に入ってきたのは、優ちゃんのスキルフルさ。冒頭でも書きましたが、この子本当にダンスが上手な子なんだなと感嘆の声が出ました。

3rd TOURでの煽りを見てから気になっていた優ちゃんでしたが、これからもっと注目していきたいなと思いました。

 

いよいよ始まった櫻坂の4th TOUR。

東京ドームでの2days追加公演も発表され、これからますます目が離せないグループになりますね...!無事に全員でツアー完走できることを願いながら、ここで終わります。

あなたを見ると感情が揺れる【櫻坂46 小林由依卒業コンサート】

2024年1月31日。本日は櫻坂46の小林由依さんの卒業コンサートでした。

卒コンを配信で見てどうにも感情の行き場がなく、ここに行き着きました。

 

見るつもりはなかった卒コン

小林由依さん(以下ゆいぽん)が卒業するのはもちろん知っていました。コンサートをすることも知っていて、それでもなんとなく見るつもりはありませんでした。

理由はというと単純に自分がゆいぽん推しではないこともあったし、しばらく櫻坂とはTVやYouTubeから応援するくらいの距離を自然と取るようになっていたから。

 

それでも見なければ終われない気がした

そうして何も気にせず日常を送っていたある日、YouTubeに櫻の新しいシングルMVが流れてきました。私はそれを見た後、自然とHPに飛んでいてそこでゆいぽんの卒コンのバナーを目にしました。

YouTubeに流れてきたのもHPに飛ぼうと思ったのも偶然だったけれど、直感でこれは見なきゃと思いました。

前にTwitterで誰かが言っていた「ゆいぽんが卒業したら、本当に欅坂というグループの幕が下りるような気がしている。」という言葉をふと思い出して、ならばどんな結果になっても見届けたいと思ったのも理由です。

 

「もう全く別のグループなんだ」

私は欅坂というグループの存在の大きさあまり、今でも回顧して懐かしんでしまうことがあります。正直。けれどこのライブを観たことで櫻というグループが、その歴史の上にあることは間違いないけれど「欅坂の後の…」というグループではないことを確信しました。(今までは、頭では分かってるけど心が追い付いてない感じだった。)

欅坂という今でも眩く輝いているあの時間を、櫻坂は歩んでいる途中なんだなと感じました。

 

ゆいぽんの強さ

ゆいぽんの強さを、虚勢の強がりだとずっと思っていた。人前では言えなかったけれどその強さが私には鋭くて、理解できないと思って拒否したこともありました。

欅が揺らいだときも、まだ咲く前の櫻のときも、一人強くいるあなたを勘違いして。

でもあなたは本当の本当に、真に強い人だった。

それを私は今回の卒コンでやっと、分かった気がします。ありがとう。

 

心が震え、身体が熱くなる。

今回のライブ、私にとってのハイライトはstart over!です。

夏鈴ちゃん本人も言っていたように、間奏のダンス含め感情が揺れる時間でした。そしてそれを観て、ゆいぽんが「櫻坂を任せられる」と思った未来が今ここにあると実感し、その未来を一緒に見ていきたい、そう思わされたパフォーマンスでした。

 

卒コン2日目も見届ける

遂に終わった卒コン1日目。かなりあっさりしていて、それもゆいぽんらしいなとも思うし、私はかなり好きでした。

後輩たちもものすごくしんみりというよりゆいぽんのかっこいい背中を見ながら、それに負けないように、勇気づけられるかのように強く地に立っていて素敵でした。

2日目、後輩たちにめっちゃ泣かれるゆいぽんも想像できるし、このまま強くカッコよく見送られるのも想像できて、どちらにせよ楽しみです。

(それにしても、ゆいぽんずっと出ずっぱりで凄かったですね…。)

 

 

それではここらへんで。

ファンの皆さん、明日も一緒に見送りましょう~~!ぽんぽん!


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サールナートホール 静岡シネ・ギャラリー

映画館レビュー第4弾。今回は静岡市にある静岡シネ・ギャラリー。

www.cine-gallery.jp

堅牢な造りの建物の3階に静岡シネ・ギャラリーはある

シアター以外もしっかり見たくなるくらい魅力的

厳格な上映時間入場厳守

ここ静岡シネ・ギャラリーでは、上映開始後の途中入場をお断りしています。

初め、途中入場禁止と聞いて私自身少し驚きましたが、作品であったり映画鑑賞という体験であったり、作り手や鑑賞者含めた映画を囲む一つひとつの要素を大切にしているからこそ、こういった制限を設けているのだろうと思っています。

実際自分も途中入場をしたこともされたこともありますが、それぞれ思うところがあったので、公式的にこうして制限をかけるのも一つのあり方だなと今回足を運んでみて感じました。

 

映画好き、ここに集う

今回は12月中旬に行ったので年間総まとめ(?)で「静岡シネ・ギャラリー上映作品の年間マイベスト3」的な企画をロビーでやっていたのですが、そのアンケート回答の熱量たるや。すごいすごい。

映画を日々愛してる人がここにはぽつぽつと集まっているんだなと実際に感じられる時間でした。

 

中に入ってみよう

劇場の座席は年季が入ってて、しっかり沈む感じの椅子でした。

座席には傾斜なし。だけどちゃんとスクリーンは全部見えます。

 

飲食禁止が吉と出るか凶と出るか

静岡シネ・ギャラリーは大手が運営する映画館とは異なりフード・ドリンクの売店がなく、また劇場内での飲食も禁止されています。

フードドリンクの飲食も含めての映画体験を楽しみに来ている人にとって、このルールはあまり歓迎されるものではないかもしれません。

しかし映画を観るときに「映画だけに集中する」ことを目的に来ている人にとっては、雑音にもなり得る飲食の音や匂いの心配がないのは喜ばれるでしょう。

お客がどちらの立場であるにせよそれが設けられてからここまでずっと、そのルールを変えずに続けられていることに驚愕しましたし、映画という文化や(静岡シネ・ギャラリーとしての)映画館というものに対して持っている意志を強く感じて、私は入館する前からワクワクした気持ちになっていました。

 

あなたも必ず観たくなる。見事なSNSでの告知文句

サールナートホールの静岡シネ・ギャラリーといえばSNSでの宣伝、というくらい私の中では数ある映画館の中でも告知文句が魅力的で、思わず全部観たくなります。

特にTwitterでの公開告知のツイートはいつもいいねがたくさん付いており、このツイートを見て足を運ぶ人がかなりいるのではないかと思っています。(私もその中のひとり。)

中の人が誰なのかが気になる&これからのSNS更新からも目が離せない!!

 

コアファンも、これからって人も

映画が大好きなコアファンはもちろん、たまにしかまだ行かない人も濃密な映画体験ができる静岡シネ・ギャラリー。上映ラインナップが豊かなのであなたもきっと気になる作品があるはず!HPをぜひチェック!

 

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福岡天神【大洋映画劇場】

映画館レビュー第3弾。第3弾は、福岡天神にある大洋映画劇場

第1弾と第2弾はこちらから。

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煌々とした街中でも目がいく堂々とした外観

小さい頃、前を通るたびここはパチンコ店だと思ってました。(というか光っててどっしりしてる建物は全部パチ屋だと思ってた。)

そんな勘違いをしてしまうほど、騒がしい天神の夜の街でも大洋劇場は存在感アリ。

 

 

所狭しとならべられた上映情報

そしてその存在感に惹かれて近寄ると、そこには所狭しと映画のワンシーンや上映情報がズラリ。

このオールド感はもちろん、それ以上にこれらのポスターや上映時間のチラシを貼っている人の姿が目に浮かぶような、人の手でこの劇場は運営され続いているんだなと感じられるのが大手の映画館にはない良さだと思います。

 

 

余韻に浸らせてくれる3段の階段

映画を観終えて劇場を出るとき3段の階段があるのですがそれがちょうどいい。なにがちょうどいいかというと、映画という非日常と外に広がる天神の街という日常をつないでくれるのにちょうどいいんです。

「まだこの余韻を消したくないな。このまま天神の街に出ていくのちょっとしんどいな。」ってときに建物を出た後ちょっとの階段を一歩ずつ降りていくことで、日常に溶け込んでいくみたいな気持ちになりました。

 

 

かわいい太陽みたいな電灯

この壁際の放射状に光が広がる電灯がかわいい。大洋劇場=太陽劇場ってことなのかな???と思うくらいに太陽感のある電灯でした。

1枚目の写真を見ると分かるように後方座席と前方座席の間に大きい段差があるのですが、それがまるでバスでいうところの運転席の後ろの一つだけ高い座席みたいでひとり勝手にテンションが上がってました。(伝われ)

 

 

ふわふわ幅広の肘置き

特にいつも肘置きは使わないですが、ぱっと横を見たとき肘置きがふわふわで幅広だとなんか嬉しかった。ふわふわで人はやさしくなれる

 

 

サファイアブルーのエレベーター

建物全体のテーマカラーみたいなサファイアブルーが良い色。特にエレベーターのはラメが入っててもっとかわいかった~。

 

 

3月末以降の取り壊しが決定済。行くなら今。

最後に。

人が多く行き交う天神の街にずしんと建つ大洋映画劇場。

実は2024年3月末に取り壊しが行われることが決まっています。今の劇場を見られるのは3月末まで。ぜひ足を運んでほしいです。

 

映画館を楽しむ目黒シネマ

①に引き続き、映画館レビュー②です。

いやーちゃんと第2弾出せてよかった。ちゃんとシリーズ化しますからね(宣言)

関連作品連続上映

目黒シネマはワンスクリーンのみ。そのため1日に上映できる作品数には限りがあります。しかしだからこそ、1日の中でや週替わりで、関連する作品を続けて上映しています。

例えば同じ監督の作品を入れ替え制で上映したり、一人の俳優さんが出演している異なる5つの作品を前後半の内容を変えて2週間上映したり。

その上映スタイルは私にドンピシャだったようでまんまと沼にハマって関連作品を掘り起こしては自分でも鑑賞しています。こういう自分だけでは辿り着くのは厳しいだろうな、みたいな出会いを作ってくれるのがとても良いです。

劇場スタッフ手作りの番組表

目黒シネマでは、入館した際に番組表をスタッフさんからもらえます。(これが私は一番好きポイントかもしれない)

手作り感がありつつも見やすくぴらぴらの薄い用紙の番組表だからこそ、気兼ねなく小さく折りたたんで手元に持っておいたりお財布に入れて思い出したときに次週の上映作品をちょっと見たり。

私はこれを上映前に眺めるのが常でして。劇場内に入ると上映前でもスマホはできるだけ触りたくないので、ちょっと手持ち無沙汰になったところにこの番組表を見ています。

始まりの”ベル”

目黒シネマでは、上映前にベルがなります。

それはスタッフさんが上映開始のお知らせとして手動で鳴らしてくれるもの。

そのベルが鳴ることで「始まるぞ…」と観客の足並みが揃って静寂が連鎖していくのがなんともいえない体験なのです。

劇場広告からフェードアウトして本編が始まるときよりも「ここにいる皆んな、この時この作品を楽しみに来ている人たちなんだな」と、赤の他人が一瞬だけ近くに感じられるような気がします。

駅チカシアター

結局なんだかんだいってもアクセスの良さは大切。

ふらっと行きたいな、観たいなと軽く思い立っても億劫にならないのが素晴らしい。

その点において目黒シネマは目黒駅から徒歩3-5分という抜群のアクセスの良さを持っています。

 

 

 

とこんな感じのシネマです。

いうても私も行き始めてまだまだそんなに経ってないのでこれからもっといっぱい好きなところとか合わないところは出てきそう。

ちなみに私は気にならないので特筆はしませんでしたが、目黒シネマはシート列ごとの傾斜がないので前に座高高い人などが来ると画面の一部が見えなかったりします。

(あと、ここでの紹介は実際に足を運んだりHPを見たりして書いた情報を載せていますが、正確な最新情報はHPやSNSなどで調べてくださいませ~)

 

色々書きましたが目黒シネマ、良いです。ぜひに。

食べるもので頭がいっぱい

私は食べすぎる。

 

ただの食べすぎではない。

 

何か一つのものをちょいとばかり食べすぎる。

でも偏食家とかそういうんじゃない。

 

ある日は海苔。

結果、大便が黒くなる。

 

ある日はきなこ。

結果、便がめちゃ出る。

(2回とも便続きで申し訳ない)

 

ある日は焼き魚。

結果、血液サラサラになって生理で初めて貧血になる。

 

ある日は作り置きのお弁当。

結果、添加物で肌荒れがやばくなる。

 

なんでもそうだが食べすぎやりすぎって良くないですね。

って言いつつ今もピーナッツを口に運び続けている。

モルダウでうちの中学に革命を起した話

ドラマ、カルテットのサントラを聴いていてモルダウが流れてきた。

私はモルダウを聴くと中学の合唱コンクールを思い出さざるを得ない。

 

 

私がモルダウを初めて知ったのはその合唱コンのクラス課題曲選びでのこと。

確か5曲くらいを一気に聞き投票で決めていくのだが、2,3曲目くらいで流れたモルダウを聴いた瞬間私は

「これがいい。やるならこれしかない。」と思った。

実はその後話していて知ったのだが、私の友人たちも同じようにモルダウ一択だと感じた子が多かったらしく、特に異論なくモルダウが私たちのクラスの課題曲となったのだ。

 

ただもしクラスの皆が嫌だというのなら、票数及ばず他の曲に決まりそうなら、どうにか説得してでもいや多少の強硬策を講じてでも、モルダウを自分のクラスの合唱曲にしようと私は思っていた。

それくらいモルダウのパワーは凄まじかった。

 

 

ただ、持つパワーが凄まじいというのは歌うのも大変ということでとにかく苦戦した。

COSMOSやHEIWAの鐘など他クラスが歌う定番の合唱曲とは異なり、いまいちどんな曲かつかみづらかった上に、うちの学校では歌われた前例がないためにお手本や参考にするものもなかった。

 

「何か感覚をつかみたい。」

そう思ってYouTubeで調べてみた。すると検索トップに出てきたのは合唱映像ではなくオーケストラの映像。同じ名前の曲がクラシックにもあるんだ~と思って見てみると、それは私たちが歌うモルダウだった。

そう、モルダウはクラシック出身の合唱曲だったのだ。

 

 

そしてなんやかんやありつつ終わった合唱コン。

私たちのクラスは上から2番目の優秀賞。最優秀賞は獲れなかった。

しかしその後。校内でちょっとしたモルダウブームが起きた。

モルダウかっこいいよねって他クラスの子からたくさん言われたり、自分のクラスの課題曲じゃないけどモルダウを口ずさむ子が出てきたり。

 

更にその波は後輩の代にまで広がり、他に比べて馴染みのない課題曲にも関わらずモルダウかっけーー!」とやはり後輩たちもなったらしく、その次の年モルダウを課題曲として歌ったクラスが最優秀賞を獲り、私たちの想いを遂げてくれたというわけだ。

(ちなみにその後輩のクラスは私の部活の後輩がいたクラスで、聞くところによるとその子たちの友人も「やるならモルダウしかない」と確固たる意志を持って課題曲に選んだらしい。やはりモルダウパワーすごい。)

 

今もその中学にモルダウが候補曲としてあるのかは知らないけれど、あったらいいなと思うしあるとしたらあのときの私たちと同じように、曲のカッコよさや美しさの衝撃に撃たれてモルダウを選んでいる子たちがいるんじゃないかなと思う。

 

そんな想像をしながら、うちの中学に革命を起したモルダウをまた今日も聴くのでした。

みんなは心の支えって何にしてる?

心の支えみたいなものって皆さんあります?

うわーきっつ、もう無理やって思ったとき私は

今までの経験・今まで出会った人たちからもらった言葉・推したちの姿と生き様

を思い出して自分を奮い立たせてます。

 

今までの経験

私が中学の時入っていたバスケ部で、それは今思い出しても緊張するくらい地区でも厳しくて有名な先生に指導をしてもらっていました。

 

物心ついてからドカンと怒られた経験が全く無かった私にとって、その先生との出会いは天地がひっくり返るほどの出来事でした。

大小ありつつも毎週のように怒られ、名指しで怒られた日なんかにはもう人生の終わりだと思うほど怖かったんですね。

 

でもそんなある日、月1回ほど来てくれていたOGの方が、

「今はキツいし辛いししんどいと思うけど、これよりしんどいことってそうそう無いけん。あの時よりかは辛くないな、って大体のこと乗り越えられるようになるよ(笑)」

とパッと皆に言ったことがありました。

そのときは「あーそう、なのか??そんなもんか…」くらいの認識でしたが、色々な環境に身を置くにつれその言葉が自分の中にすっと入ってくることが増えました。

そして今はその言葉が自分の言葉かのように自分の思考に馴染んでいるし、実際あのときより身体的にもメンタル的にも(ちょっぴり人間関係的にも)辛いことって本当に無いな~って実感しています。

 

 

今まで出会った人たちからもらった言葉

やっぱり自分は未熟で、ときどき自分でもどうしようもない人間だなーー!って思うのですが、そういう気持ちになるたびに友達やハウスメイト、上司、後輩だったりが私にかけてくれた言葉や正直に伝えてくれたことを思い出して、よし。って思い直すことが多いです。

自分は人と深く関わる気がないというか、相手のことを思って行動した結果自分の形が崩れるくらいなら伝えずに終わっていいやって思ってしまう人間だからこそ、相手が私を想ってくれた言葉をできるだけ心に留めるようにしてます。

 

 

推したちの姿と生き様

私が言う”推し”はアイドルであることが多いのですが、私のアイドルの推し方って多少結果至上主義なんです。それの良し悪しはさておき結果として、観る者に必ず良いモノを届けてくれる。そのためにとてつもない努力と苦労があるんだろうなって素人考えですが思うんです。

そしてアイドルというのは代替が効かない存在。ファンが待っているのは、その舞台に立つことができるのはその人しかいない。・・・

って思うと少し言い方はあれですが、代わりの利く私なんぞがこれくらいの苦労と疲労でわーわー言ってどうすんだい、私は推しの頑張る姿と見せてくれる素晴らしいモノを見て好きになったんだ!なら私もまだまだ頑張ろう!!

 

って思える。

 

 

まぁこういったことで立ち直れる、頑張れる程度の経験しか未だしたことがないっていうのも大いにあると思います。

ですが私はいつもこれらを胸に抱えて言い聞かせて頑張って踏ん張ってます。

 

と、また自分のこと話してしまいましたがそんなところで皆さんの心の支えは何ですか?

SHEINの口コミ欄

ネットショッピングをあまりしない私ですが、この間ふとSHEINのサイトを見てみました。

 

なんでも売ってんな~と思いながらしばらく眺めていると気になることが一つ。

商品の口コミ欄です。

それ自体はショッピングサイトなら当たり前ですが、SHEINの場合そこに書き込まれている内容が興味深かった。

 

商品に対する評価や感想が書かれているのは変わらないんですが、ぱっと見たほとんどの日本語口コミにちょっとした自虐要素が含まれているんです。

 

「足太すぎてびみょーな感じに見えるけど、商品はめちゃかわです!!」

「私の骨格にはちょい合わなかった~~骨格ウェーブさんだったら似合うと思います」

「今の私には着こなすのが難しいかな。もうちょっと痩せたらいい感じに見えると思うのでダイエット頑張る」

・・・

 

みたいな。

あと口コミするときの評価選択に臭いに関するものがデフォであって、それもならではって感じがしました。どんだけ臭いねん。

(この後臭いの理由について調べてみると、原因と考えられるものが色々出てきてちょっと笑えなくなりましたが。。。)

 

あと、

「生地がペラいけど、まぁワンシーズンもてばいいので大丈夫です。」

みたいな趣旨の口コミもかなりあって、これには驚きました。

生地のペラさは海外製品だとあるあるなので置いておくとしても、その洋服を買う時からワンシーズンしか着ないであろうものとして考え購入していることが衝撃でした。

 

確かに流行りものだとワンシーズンだけで十分だから、安く手に入るならペラくてもいいというのは考え方によっちゃ合理的だなとも思いました。

でも言われてみると100均とかもそうだし、私もそれでお金もモノも無駄に溶かしてきた過去があるのでもの凄く引っかかる考えではあるけれど、理解はできるんだよなーーーなんて一人で勝手に悩んでました。

 

 

少し話が飛びましたが、口コミ欄の

自虐というか、自分に何が似合うのか、どんなものを求めているのか、どんな完成形を想像しているのか、が今の子たちってかなり明確だなーと感じました。

ただ、そうなりたくてなってる、よりも世に溢れる情報を吸い尽くした結果そういう思考になったって感じかなとも思うんですけどね。

 

自虐が入っているのも、考えすぎかもしれませんが

「痩せてないと着こなせない」

「私は自分が○○ってちゃんと自覚してます」

といったように、何らかの思考の刷り込みが根底にあったり批判されないように予防線を張ったりしているのかなと。

これはやっぱりSNSの影響だと思うし、それらの自虐も暗いものではなく明るいものなのも最近ぽいよなーなんて思いました。

 

とまぁつらつら書きましたが自分もこういった考えがないと言ったら嘘になるし、むしろそういう刷り込みの「○○べき」の思考をよくしてしまう方の人だと思います。

労働環境問題も、身体に対する考え方も、常に人の目にさらされるSNSの使い方も、、、ここは現代の色々な問題や話題が詰まった場所だなと感じました。

 

ある意味良い勉強の材料ですね。もし気になったら見てみると面白いかもしれないです。

私の偏愛→→鉄鋼

小さい頃は木材が好きだったけど、ここ数年で鉄鋼に推し変しているすのおさるです。

 

小中高あたりまでは木材の温かみとか息してる感じが好きだったんですが、大学くらいから一人旅行したり、親から奪い取ったカメラで色んなものを撮るようになってから鉄鋼のカッコよさや美しさに目がいくようになりました。

 

鉄鋼は、つやがあるものだとコロコロした雰囲気にもなれるし、光の当て方によっては色気のある雰囲気になれるのもいい。

昼間に見たときは男くさいカッコよさや逞しさがあったのに、夜見ると艶っぽくて色気が溢れていて驚かされることも多々あります。

 

個人的に好きなのは、建設工事中の組まれてる鉄筋とかです。

完成されてない中途半端な美しさがめっちゃ愛せるし、バリ?ボルト?みたいな(正確には知らんけど)つんつん飛び出してる部分が特に好きです。

さらにさらに、工事進行中の場合だと防音とか防塵のためのシート?が被せられてると思うんですが、それが新婦のベールみたいで建物のお顔が透けて見えるのが堪らんのです。雰囲気があって無骨なのにかわいい。

 

 

とまぁ色々書きましたが。見た瞬間はもう

「かっけーーーーー!!!」

しか頭にないです。憧れの戦隊ヒーローを見た少年みたいな感じです。

 

こんな感じでテツテツしてるものを愛している私です。

お気に入りのテツテツ写真置いておきます。(鉄鋼じゃないのも普通に紛れてる)

 

映画『福田村事件』

井浦新さん出てる!あ、東出さんも出るのか!これは観に行かねば…」

そんなミーハーな気持ちで観た映画でしたが作品を通して忘れられない、心に刻まれる137分を過ごすことになりました。

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※以下はネタバレも出てくると思うので、上の予告版を観て本編が気になった方はぜひ劇場に先に足を運んでみてください。

 

それぞれが生まれながらに抱える人生

劇中では一つの村を中心に話が展開されますが、戦争に対して、朝鮮の方や差別された部落の方に対して、結婚に対して、生き方に対して・・・

皆の思いは食い違います。しかもそれは自分で選べるものではなかったりするのです。それがまた苦しく、自分たちではどうしようもないことを争う場面が多々あって。

まるでその争いの場にいる一人の村民になったかのように、思わず息を止めて観ていました。

 

不安、焦燥、遺恨、欺瞞、憎悪

負の感情がいったん始まると、それは断ち切らない限りずっと付いて回る。

些細なことがいとも簡単に感情の引き金になってしまう。

もしそういう状況に陥ったとき、私たちはどうすべきなんでしょう。どうしても赦すことができなかったとき、その想いを抱えながら生きていくことはできるんでしょうか。

分からない。

まだ自分は赦したことがないから分からないけれど、いつかそんなときが来てしまったとき、この作品を少しでも頭に浮かべることができたなら… そう思いました。

 

鳴り響く、和太鼓の音

上に載せた予告編でも鳴っている和太鼓のサントラですが、本編でも重要なシーンで流れてきます。

この和太鼓の音が、映像と相まってかなり精神にきます。

自分自身和太鼓をやったことがあり、私の場合は和太鼓の音を聴くと力が湧くというか血が騒ぐ感じがするのですが、村民たちが暴行、殺害を行っていたとき、その頭の中にもこんな音が鳴り響いていたんじゃないかなと。。。

「コイツらは私の大事な人を殺した。赦さないーーー。」

「憎き朝鮮人を。。。」

「いまこれだけ人がいれば、殺れる」

「この村は私が守らねばーーー。」

多くの人が集い、まとまり集団を作って、群れる。そして突然そこに現れた異物。

ーーー排除せねば。

そんなことで頭がいっぱいで、どこからなのか分からない、湧き上がるような何かを自分の中に感じたんじゃなかろうか。

 

それを上手く和太鼓の音が表していたなと。

あまりに映像との相乗効果が強すぎて、私はそのシーンは数分間直視できなかったです。動悸もしばらく止みませんでした。

 

そこに正義も正解もないとき

この世界で争いが起きることは、その大体が確かな正義や正解が無かったり人によったりするものですよね。

この作品の話もそうで、そういう答えのないもので起こってしまった事件を見るのは本当になんとも言えない感情になります。

悲しさとも怒りともやるせなさとも違っていて、私は感情がぐちゃぐちゃのまま劇場を出ました。悲しくて泣きながら劇場を出たことはあってもあの時の感情は映画では初めてで、今でも忘れることができません。

 

私たちはどんな歴史を知り学ぶべきなのか

私はこの映画を観るまで、福田村事件については全く知りませんでした。

朝鮮合併の歴史も学生の時に学びましたが、正直今回の映画を観るまであまり覚えていませんでした。その一方で第二次世界大戦の原爆投下はやはり覚えていて。

身近にあるいじめなどと同じように、した側は覚えておらずされた側は忘れない、ということなのかもしれないと思いました。

それらの歴史上の事実がどうであれ、私は自分自身が覚えていなかったことや、覚えていないことに対して無自覚であったことを今回恐ろしく感じました。気を付けているつもりでも、自分でも気付いてこなかった物事の一面があるのではないかと。

違う者同士が同じ立場に立ち物事を考えることの難しさを痛感する出来事でした。

 

最後に

この事件で生き残った行商団たちが多くを語ることはなかったと最後にありましたが、やはり語らなかったのではなく語れなかったのだろうと思います。

当人たちが口を閉ざさるを得なかった事を、今私たちが作品を通して知ることができたこと。それだけでも意味があるんじゃないかなと思っています。

 

たとえ変わっていっても【欅坂46】

私は欅坂46が好きだ。

欅坂というグループの音楽やパフォーマンス、その在り方で届けてくれたものが全部大切で、そのときの自分の支えになってきた。

そんな、高校・大学と私の学生生活と共にあった欅坂だったが歳を重ねるにつれて私には心境の変化が訪れている。

 

少しずつ、自分の今の感情や感じ方と欅坂の届けてくれるものがリンクしなくなってきたのだ。

 

それこそ高校生のときは自分が感じている悲しみ、希望、絶望、夢、怒り、孤独。。。そんな感情たちを一緒に背負い、分け合う同じ道を歩んでいる存在だと感じていた。

 

でも今は私は私の道を、”僕”はまた別の自分の道をしっかりと歩み始めている気がする。

 

もうあの時とは感じ方も考え方も変わっていることも増えたけれど、それを悪いことだとは思わない。何より、『生きるとは 変わること』だと彼女たちが教えてくれた。

 

共感できなくなってきた自分がいることに当時は驚いたし、自分の中から”僕”と、欅坂という存在との繋がりが消えるようで悲しくて寂しかった。

けど全てが無になるわけじゃない。あの時の記憶や想いは確かに今も、私を支えてくれている。

メンバーだった彼女たち自身が前を向いて各々の道を歩んでいるのを見ればすぐに分かる。

 

 

だからこそ欅坂としてまた集まることを特に望んではいないし、(そりゃ万が一にもそんな機会があればすっ飛んでいくかもしれないけれど)あの時の彼女たちの姿にすがりつくつもりもない。

ただこれから先も欅坂46の音楽がたくさんの人に届いて、その人たちの希望だったり優しさになればいいなと思う。

煙たがられない程度にこの先もありがとうのクサい台詞を吐きながら、ただ静かにグループへの愛を言葉にしていきます。ありがとう。


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私の矢印は常に自分に向いていた

令和の虎というYouTubeの番組がある。

以前から時々見ているのだが、これが自分を客観視するのにかなり役立つ。(特に受験生版)

今回、自分にグサグサ来た動画があったので動画を用いながら少し自分のことについて話させてもらう。

 

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この動画なのだが、話が長い、端的でないと指摘された志願者の方が

「誤解を招いてしまうかもしれないから」

「端折ると十分でないところが出てくるから」

と仰っている。

 

ここにすごく共感したし、私も同じことをやってきた人だ。

 

でも虎の方たちが言われているように、結局相手に伝わらなければ意味がないし、誤解が生まれた場合はそのときにまた伝えればいいのだ。事実は違うとしても、多少言い切ってくれた方が良いという虎の言葉も、今なら分かる。

 

ここだけじゃなく他にも、この志願者の方には自分と重なるところがたくさんあった。

例えば、自分では人と上手く意思疎通ができていると思っているところ。

自分は”考えている”からこそ話すと長くなると思っているところ。

 

総じて、話すときや考えるときの軸が【自分】なのだ。

そしてプライドも高い。相手の指摘に対して「はい。」だけで済ますことができない。でも。。。と続けてしまう。

 

私自身も矢印がずっと自分に向いているような人間で、それを分かっていたけれど認めたくなくて治そうとする勇気もなかった。

でも就職活動というものを通して、人にたくさん助けられたり、短い時間で相手に伝えなければいけない場面を経験したことで変わることができたと思う。

十分ではないけれど、前より変わっていることは確かだ。

 

最後に。

こういう考え方や感じ方をする人って一定数いると思う。

不安や心配が先行して、相手の感じ方に敏感で、一歩一歩を踏みしめなければ前に進めないような。

こういう風に文章を書くときだったり、好きなように想いを綴る場ならばそれは強みにもなると思う。でもそれって自分の勝手な考えでもある。

「相手はこう感じるだろう」

「これを言ってこう思われたら…」

「伝わりにくいと思うから足りるようにちゃんと話さなきゃ」

これでは”今あなたの目の前にいる相手”を信じていない、向き合っていないのと同じことだ。全部自分の頭の中の考えや想いでしかないのだから。

 

あなたの優しさや、心配や不安に対するアンテナの受信レベルの高さを発揮するのは、相手に一度思いっきり全力ボールを投げてみてからでもいいんじゃないか。あなたの頭の中で出来上がった相手の”像”ではなく、”目の前にいる相手そのもの”を信じてみてもいいんじゃないか。

そんな風に思う。

 

これからも恐れずに変わっていこう。

もし同じような人がいるならば、ぜひこの動画を見て自分を客観視する機会を持ってほしいなと思います。