櫻坂46の7枚目シングル『承認欲求』のMVが昨日公開されました。
公開日が広く周知されずに公開日を迎えた今シングル。初めての3期フォーメーション参加、そして初代センターるんちゃんの再来ということで楽しみにしていました。(参加とか再来っていう言葉はあまりふさわしくないとも思うけれど)
結果、
うーーん。自分には響くものがなかった。というのが本当に正直なところです。
(再追記23/9/29)
もう今回はこういう作品性・特徴の楽曲なんだって割り切って聴くとこれもこれで良い気がしてきた。。。ますます分からない!
曲と詩に、美しさ(綺麗という意味ではなく)というか心の底から伝えたいメッセージ性を感じることができませんでした。
パフォーマンスに関する制作陣と櫻坂メンバーたちは、作られたこの楽曲を受け取って何を感じて何を表現したいと思ったのだろう、そもそも表現したいと自身が心から思えるメッセージはそこにあったのだろうか。
という疑問を最近の櫻坂楽曲には抱いています。
(追記23/9/28)
メンバーたちのブログを見ていると、伝えたいメッセージは明確に持っていてもそれに楽曲が追い付いてないのかなとも感じました。
でも楽曲を聴くともの凄く手抜きして作られたものじゃないっていうのも感じるし…。うーーん言葉にするのが難しいんですがなんかもっとこう、楽曲の持つメッセージと楽曲自体がバチコーンと互いに”化学反応を起こす”感じがみたいんです。それぞれが別ごとでいいね、なのではなく総合芸術の化学反応がが生むパワーを見たい感じたい。
欅坂楽曲のときは、メンバーたちも作られた楽曲に対して、深く共感・理解していたように思います。とはいえ共感することが一概に善だとは思っていないし、共感できないものなんてこの世にたくさんありますし。。。(もちろん欅と櫻どっちが良いとか悪いとか、上げ下げの話をしたいわけではありません。)
ただ、伝えたいものがもっと明確に鮮明にあったように感じているんです。
でも、今はそうじゃないんじゃないかな。と、楽曲を届けてくれるメンバーたちを見ていて思います。
彼女たちの伝えようとしてくれる姿勢がファンにとっては嬉しいことなんですが、もっと楽曲にも心から伝えたいものや在りたい姿がきちんとあってほしい。ずっとそう願っています。
(これを書きつつ何回か聴いていくと曲は良いかもと感じたけれど、櫻坂というアイドルだったり詞と合わせると中途半端感が否めなかった。)
MVや衣装に関してはきちんと作られているのが伝わってきて、いつも感謝の想いでいっぱいです。映像の質感もライティングも構図も綺麗だなとずっと思いながら視聴したし、好きなカットもいっぱいありました。
ですが「同じようなものを何回も見たことある」という印象が強く、「凄いね」とはなるんですがそれ以上のものを感じられなかった。
ただ、同じようなものが生まれるのは悪いことだとは思いません。同じ人たちが関わり、作り、表現しているものだしその共通項こそが次第に個性や強みになっていくものだとも思います。
私はもっと、心が鳴り止まないくらいの、脳が揺れるくらいの、しばらく何も手につかなくなるほどの、そんな作品を櫻坂でまた見たい。
冷静で客観的なコメントができないくらい、もっと引きずり込んでほしい。
たとえ伝えたいメッセージが今回の「承認欲求」みたいな強い言葉でないとしても、それはできると思うし、更に彼女たちはそれができると知ってしまっているからこそ物足りなさと悔しさとやるせなさがすごいです。
まだまだやれると信じたい。
楽曲の曲と詞も、その制作陣メンバーも、コレオも、MVのロケハンや撮影、構成、映し方、色味も、メンバー自身の歌やダンスの成長も。
「いやこれが今の櫻坂だから」と言われたら、私は静かに見守るなり離れるなりするしかないなと思っているんですが、チーム櫻坂はまだまだやれるって感じているんです。勝手に。
だからまだ諦めきれない。
これ以上はファンとして追わない方が自分も相手も幸せかもしれないと、今まで何度か感じたこともありますが離れられなかった。
チーム櫻坂、応援しています。