すのおさるブログ snowsaruBlog

目下の目標:海外旅行、恋人を作る、友達とご飯を食べる、顔ちっちゃくする

櫻坂46 承認欲求が示す未来

櫻坂46の7枚目シングル『承認欲求』のMVが昨日公開されました。

公開日が広く周知されずに公開日を迎えた今シングル。初めての3期フォーメーション参加、そして初代センターるんちゃんの再来ということで楽しみにしていました。(参加とか再来っていう言葉はあまりふさわしくないとも思うけれど)

 

結果、

うーーん。自分には響くものがなかった。というのが本当に正直なところです。

 

(再追記23/9/29)

もう今回はこういう作品性・特徴の楽曲なんだって割り切って聴くとこれもこれで良い気がしてきた。。。ますます分からない!

 

曲と詩に、美しさ(綺麗という意味ではなく)というか心の底から伝えたいメッセージ性を感じることができませんでした。

パフォーマンスに関する制作陣と櫻坂メンバーたちは、作られたこの楽曲を受け取って何を感じて何を表現したいと思ったのだろう、そもそも表現したいと自身が心から思えるメッセージはそこにあったのだろうか。

という疑問を最近の櫻坂楽曲には抱いています。

 

(追記23/9/28)

メンバーたちのブログを見ていると、伝えたいメッセージは明確に持っていてもそれに楽曲が追い付いてないのかなとも感じました。

でも楽曲を聴くともの凄く手抜きして作られたものじゃないっていうのも感じるし…。うーーん言葉にするのが難しいんですがなんかもっとこう、楽曲の持つメッセージと楽曲自体がバチコーンと互いに”化学反応を起こす”感じがみたいんです。それぞれが別ごとでいいね、なのではなく総合芸術の化学反応がが生むパワーを見たい感じたい。

 

 

欅坂楽曲のときは、メンバーたちも作られた楽曲に対して、深く共感・理解していたように思います。とはいえ共感することが一概に善だとは思っていないし、共感できないものなんてこの世にたくさんありますし。。。(もちろん欅と櫻どっちが良いとか悪いとか、上げ下げの話をしたいわけではありません。)

ただ、伝えたいものがもっと明確に鮮明にあったように感じているんです。

 

でも、今はそうじゃないんじゃないかな。と、楽曲を届けてくれるメンバーたちを見ていて思います。

彼女たちの伝えようとしてくれる姿勢がファンにとっては嬉しいことなんですが、もっと楽曲にも心から伝えたいものや在りたい姿がきちんとあってほしい。ずっとそう願っています。

(これを書きつつ何回か聴いていくと曲は良いかもと感じたけれど、櫻坂というアイドルだったり詞と合わせると中途半端感が否めなかった。)

 

 

MVや衣装に関してはきちんと作られているのが伝わってきて、いつも感謝の想いでいっぱいです。映像の質感もライティングも構図も綺麗だなとずっと思いながら視聴したし、好きなカットもいっぱいありました。

ですが「同じようなものを何回も見たことある」という印象が強く、「凄いね」とはなるんですがそれ以上のものを感じられなかった。

ただ、同じようなものが生まれるのは悪いことだとは思いません。同じ人たちが関わり、作り、表現しているものだしその共通項こそが次第に個性や強みになっていくものだとも思います。

 

 

私はもっと、心が鳴り止まないくらいの、脳が揺れるくらいの、しばらく何も手につかなくなるほどの、そんな作品を櫻坂でまた見たい。

冷静で客観的なコメントができないくらい、もっと引きずり込んでほしい。

 

 

たとえ伝えたいメッセージが今回の「承認欲求」みたいな強い言葉でないとしても、それはできると思うし、更に彼女たちはそれができると知ってしまっているからこそ物足りなさと悔しさとやるせなさがすごいです。

 

まだまだやれると信じたい。

 

楽曲の曲と詞も、その制作陣メンバーも、コレオも、MVのロケハンや撮影、構成、映し方、色味も、メンバー自身の歌やダンスの成長も。

「いやこれが今の櫻坂だから」と言われたら、私は静かに見守るなり離れるなりするしかないなと思っているんですが、チーム櫻坂はまだまだやれるって感じているんです。勝手に。

だからまだ諦めきれない。

これ以上はファンとして追わない方が自分も相手も幸せかもしれないと、今まで何度か感じたこともありますが離れられなかった。

 

 

チーム櫻坂、応援しています。


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なんだっていいの。IVE ‘Either Way’

昨日IVEの新MV【Either Way】が公開されました。

先行公開のタイトル曲のポスターを見て、実は一番期待していなかったのがEither Wayでした。

ですが公開されたMVを見て、もう一度見て、歌詞を聴いて、また見て、、、と既に10回は見るほど好きな楽曲になりましたし、IVEにとってもDIVEにとっても大切な曲ができたと感じました。

 

この楽曲のタイトルにもなっている

「どっちでもいい。」「なんだっていい。」という言葉。

 

この言葉だけ聞くと、なんだか無気力で無関心で投げやりなイメージが思い浮かびます。

 

 

でも、そうじゃない。

 

降り注がれる視線も、手放しの賞賛も、無責任な中傷も、たくさんの愛も。

時にどうしようもないことがあっても、すべてを受け止め強くあろうと、素敵な自分たちでいようとし続けてくれた彼女たちだからこそこの曲が、強く大きく、温かく優しいものになったんだなと感じました。

 

なんだっていいの。

どれだって全部良いから。

一つだけ選ぶ必要なんてない。

全部好きなように愛せばいい。

 

日頃のステージはもちろん、色んな現場でのビハインド映像や空港などでファンが撮る何気ない動画、怒涛のスケジュールの中でのバラエティー番組、忙しい中でもファンに言葉をくれるVラ etc。。。

いつも彼女たちがファンにくれる言葉やファンに見せてくれる姿、そして彼女たち自身の在り方など、輝かしくも、想像できないほど壮絶であろうこの世界で歩んできた彼女たちの想いがそこに詰まっているようで、涙せずには見られませんでした。

 

だからこそ、この楽曲がDIVE以外にも届いてほしい。

アイドルでなくても、色々な視線があったり心無い言葉を投げられたり、自分の知らないところで勝手に違う話が広がっていたり。そういうことはこの世界にたくさんあふれています。

 

そんなときにこのMVを見たり音楽を聴いたりして、強く優しく、そして前向きに

「なんだっていいの。」

と自分に対しても周りに対しても思うことができるようになっていけばいいと思いました。


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白黒のカットは、IVEのデビュー発表のときのメンバー画像を思い浮かばせますよね。

激動のK-POP界を走り続ける彼女たちの成長が見られるようで嬉しいです。

オタクってなんだ!?

私は私をオタクだと思う。

 

でもどんなこと・人・モノがオタクなのかは結構変わっていってる。

 

とはいえ「オタクとはこうだ!」みたいなものってないと思うんだけど、XがまだTwitterだった頃、私のタイムラインにこんなツイートが流れてきた。

 

「好きだけどグッズとか全然持ってないからヲタ失格だ」

「今回お金なくてCD少ししか買えなかった~~ごめんね…」

 

フリマアプリでも

「担降りorヲタ卒するのでグッズ全部手放します」という出品理由を見かけたり。

 

私はこれらの考えに共感したことはない。

かれこれ10年近く好きな人たちのグッズも持っていなかったり、CDを買ったことの方が少なかったり、もう以前ほど熱烈に好きではなくなった人のグッズも、じゃあ売ろうとはならない。

 

「応援したいから、それを目に見える形で示すために買おう」とは思ったことがあっても、「○○してない、○○じゃないからダメだ」という考えはしたことがないし、これらのツイートを見るまでそういう考え方すら持ったことが無かった。

 

でも本当に応援の仕方なんて人それぞれだ。

そのツイートも驚きはしたけれど、その名の通り一個人のつぶやきでしかなくて誰かにその考えを押し付けていたわけじゃない。

 

もしかしたら私もこれから先、考えが逆転するくらいの何かがあるかもしれないし。

 

まあただ、応援する側も、される側も精神的にも身体的にも健康であれ。とは思う。

誰かを応援するってやっぱり素敵なことだと思うから。

これからもオタクという、誰か何かを好きになり応援したいと思う、そんな文化が続いていきますように!

ドリームハイ聖地巡礼in名古屋

 

ドリームハイ

 

ドリームハイは、私が中学の頃に再放送していたのを見たことがきっかけで大好きになった韓国ドラマです。

K-POP好きなら皆さんご存じのJYP事務所とドラマにも出演している、あのペヨンジュンの所属事務所がタッグを組んで設立した会社で作られた作品。

そんな風に作られたドラマなので、JYPドルやヨン様はもちろん、あのIUやキム・スヒョン、餅ゴリことJ.Y.Parkも出演しています。そう思うと、後にスターになっていく方々が共演していた豪華なドラマを当時は見ていたんだなとしみじみ。。。

 

というところで、韓ドラなので撮影地は基本韓国なのですが日本でもロケしているんです。それが名古屋!!

今回は名古屋に行く予定があったので、念願のロケ地回りをしてきました。

(下記のブログを参考に回らせていただきました~!)

名古屋旅~「ドリームハイ」ロケ地巡り | 雪のブログ

名古屋旅~「ドリームハイ」ロケ地巡り*つづき | 雪のブログ

 

ヘミとグクが歩いた道!いつものように言い合いをする2人の姿が目に浮かぶ…

 

3人の恋路の中でも胸が締め付けられる名シーン。

 

 

 

途方に暮れたヘミとサムドンが座り込んだベンチ!(後ろの味仙が変わらずあってびっくり)

歌で集金に成功したヘミとサムドン!そのあとの熱いダンスバトルもここで!

 

日本人の子の様子が気になり後を追いかけたサムドン

 

ここを歩いたのか

このあたりから撮ったのかな

撮影はどんな雰囲気だったのかな

 

そんなことを考えながら歩いて回ったドリハイロケ地巡りでした。

より韓国・韓国アイドルにハマるきっかけをくれた大切で大好きな作品。これからもながく愛されますように!おわり!

 

東京の大学生

京都の大学生ならぬ東京の大学生。

 

こんなタイトルにしたけれど自分は東京の大学生ではなかったし、以前抱いていた羨ましさも今となってはもう消えた。

私は東京よりも断然緑豊かな、徒歩10分で蛍やら狸やらが見られる場所で大学生生活を過ごした。

 

 

今の私をいうなれば、東京のフリーター、だろう。

 

こっちにきて半年だが、東京暮らしはお金がかかる。

日々の暮らし、というより娯楽にお金がかかる。

日々の暮らし、例えば家賃や食費は自己努力で結構どうにでもなる。探せばある、我慢すればある、というものばかりだ。

 

でも、娯楽にかかるお金は変わらない。0か100かしかない。それが例えば映画なら、観ないの0か、観るの100しかない。

65の費用で観よう、とかはないのだ。

 

これがしんどい。

 

東京は豊かで、気移りしやすい私に溢れんばかりの娯楽モノをあれやこれやと繰り出してくる。

記憶の片隅の気になってた映画

フライヤーで見た面白そうな展示

SNSで流れてきたPOP UPのショップ

 

田舎なら、気になっても諦められる。そもそも物理的な距離が遠いし、そこまでして行くほどの熱量はない。じゃあいいか、と。

でも東京に住んでいると、『頑張ればイケる』というものばかりで諦める理由をくれないのだ。

バカ高い入場料とか、交通の便が悪い立地とか、会期が鬼短いとか、なんでもいいので諦めさせてくれるものがほしい。でないと際限がない。

 

 

先日、これは行きたい!と思って応募したライブに外れたとき、残念よりも先に少しホッとしたときはマズいなと思った。

恐らくあの日当選していたら、そのままコンビニで入金手続きを済ませていたことだろうと思う。お金があるわけじゃないのに。

 

 

 

 

あーーーー東京怖い!

カントリー・ロードが心の支え

さいころ、人の輪に入るのが得意じゃなかった。

みんなの輪の中に居れないのはさみしかった。けどそんなとき「もうちょっと頑張ろう」と思うより「もういいや」と早めに見切りをつける性格のせいで、周りも私が一人でいることを気に留めず、私も一人でいることを受け入れるようになっていった。

 

そんなこんなで、小学校高学年のとき、中学1年のとき、高校1年のとき、、、とずっとではないが、なんとなく誰とも深く関わることなく一人で居た時期が少しずつあった。

 

特に小中のときはおこがましく「ハブられてる?」なんて思っていたけれど、今考えればわがままだったなと思う。

誰かに話しかけられるのを待つだけで、自分からはアクションを起こさない。少し仲良くなれたと思っても、その子に別の親しい友達がいると知れば腰が引けた態度になる。

 

そんなやつに誰が話しかけてくれるんだろうか。

みんななんて冷たいんだ、と思っていたあの頃の私に喝を入れに行きたいくらい。

 

それでも私が学生時代いい人たちに恵まれて、大切な友達をたくさんつくることができたのは、小さい頃からの友人のおかげだ。

自分の心を先に開いたうえで、人の心も容赦なくバカバカと開けていく友人が小さいころから羨ましかったし、心強かった。

 

そんな友人を尻目に私は内に閉じていったわけだがそんな、卑屈で時にさみしさを感じてしまう私の心を支えてくれたのがこの曲。

 

曲を携帯で聴くたびに

「ひとりぼっち恐れずに生きようと夢みてた さみしさ押し込めて強い自分を守っていこ」

「明日はいつもの僕さ 帰りたい 帰れない さよなら」

「この道故郷へ続いても 僕は行かないさ 行けない」

という歌詞を自分に言い聞かせていた。

 

ひとりぼっちでも怖くない。

今一瞬のさみしさのはずだから、明日はもうさみしくない。いつもどおり。

もうこの接し方を今さら変えられない。戻れない。

今変えたら恥になる。

傲慢だったけど、その空虚な強気をあの頃は自分の支えにしていたんだね。


www.youtube.com(本家の映像なかった)


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夏フェス、舐めたらあかん。

夏フェス、舐めたらあかん。客も、やるほうも。

 

先日東京(幕張)で開催されたSUMMER SONIC 2023(以下サマソニ)に行ってきて、現場の運営?に関するオペレーションに対して感じるところが少なからずあったのでそれを書いていきます。(レポは別で書く予定です。)

また、この記事ではサマソニと同じく国内でも有数の大規模な夏フェス、ROCK IN JAPAN(以下ロッキン)を比較対象として多く用いているのですが、サマソニと真っ向勝負させたいわけではなく自分が行ったことがある大型夏フェスがサマソニ以外にロッキンしかないためです。

 

ゴミ箱の数と位置と処理

設置されているゴミ箱が少ないと思いました。

私がロッキンに行ったときに、まず驚いたのがグッズテントの出口付近にゴミ箱があったこと。

これによって、買ったグッズの袋のゴミをすぐに捨てることができたんです。どうせ皆買ったグッズはすぐ身に着けるだろうから袋のゴミは必ず出るし、自分のカバンにしまって、がさごそしているときに落ちたりするほうが後から回収するのは面倒だと思うし、これは気が利いているなと感じました。

 

それ以外にも、中サイズのゴミ箱がいたるところに設置されていて、ゴミ箱を探さなくて済んだ記憶があります。

 

今回のサマソニでは、大きなゴミ箱がいくつかの場所に設置されていて、ゴミ箱を探す必要があったり、見つけても溢れんばかりにゴミが溢れていたりと、使う方はもちろんですが、回収し捨てるスタッフさんがかなり大変そうにしていたのが忘れられません。あれは私がもしスタッフ側でもうんざりすると思います。

 

結局、大きなゴミ箱をドカンと置くよりも中サイズのものを箇所箇所で置いた方が、ゴミのたまり具合も目視で確認しやすいし、回収もしやすいし、捨てる方も探さなくていいからこまめに捨てられて、ゴミも分散されて・・・と良いことづくめなのでは!?と感じました。

 

休憩場所の数

スタジアムだし、メッセだしで場所がないのは分かるんですが、それにしても休憩場所が少ない気がしました。(歩き回ってないので実は知るよりも数があったのかもしれないですが)日が当たらない場所となるとなおさらで、あまりテントの数が多くなくて、屋外だとスタジアムの屋根の影しか日影が無かったような気がします。

 

複数会場間の移動

もう立地は仕方ないのであまり言いたくないのですが、あの倒れるような高温の中、日影が無い場所を十何分歩くのはなかなか辛いものがあります。。。(あまり必要なさそうな場所に置かれてた警備員さんたちも暑そうで可哀そうなレベルだった。案内板じゃダメな理由があるのかな。)

普段だと歩ける距離でもフェスで飛んだり跳ねたりした後だと、相当見たいアーティストでないと歩く気力が出ませんでした。

”気になる”程度のアーティストとの出会いがあるのがやはりフェスのいいところだと思うので、この弊害はフェスには致命傷だと感じました。

 

グッズ販売の待機列と物販販売係

グッズ販売の待機列にテントが一部しかなかった。。。

恐らく列が思ったよりも長くなったんでしょうか。本当のところは分からないけれど、もうちょいテントの数欲しかったなと思います。

それと公式グッズとアーティストグッズの列は分けるべきではないでしょうか。列を分けても並ばせる場所がないから一緒にしてるのかな?とも思ったのですが、それにしても列を一緒にしていることで、無駄な待機時間が増えている印象でした。

あと物販係はどこかの学生さんでしょうか?

アルバイトというよりも専門学生さんという感じだったので驚きました。提携か何かしてるんでしょうか…??

そして私は驚きと同時に疑問がわきました。

参加にお金が発生しているこのイベントで、経験あるスタッフではなく販売対応に慣れていなさそうな(学生)スタッフを使うのはなぜでしょうか。

ただ、決して学生さんたちの対応が悪かったわけではなく、手慣れていないスタッフをこのイベントで使うことに対してどうしても疑問が拭えなかったです。

 

現場スタッフの声掛け

入口の場所が1DAY組と2DAYS組で違っていたり、スタジアムは糖分入り飲料持ち込み禁止だったり、スタジアムが入口と出口と専用で複数個所あったりと、事前情報こそHPで流れているものの現地でも一声欲しい情報ばかりです。

しかしその割には現地での声掛けが多くないように感じました。というかそもそも拡声器を持っているスタッフが少なかったです。

特に糖分入り飲料持ち込み禁止、食べ物持ち込み禁止(塩分タブレットなども)は、命にすら関わる重要な情報です。実際にサマソニ中やサマソニが終わってからも「持ち込みダメなの!?」という声を見聞きしました。

持ち込みがダメなのは芝生なので仕方ないにしても、水を買ったり補給したり、そのための列に並んだり、移動したり…を考えると、観たいライブの少なくとも1時間前には知りたい情報です。しかし私はライブ会場のスタジアム入口付近に行くまで、その情報を知りませんでした。

「HPで情報が出てるんだから知っておくべきだ」というのはこういうところでは通用しないと思います。実際今回のサマソニでは一日だけで100人近くの人が救護室に運ばれました。更にそういった数字には出ていなくても、頭が痛いと言っている人やぐったりして座り込んでいる人を、その日たくさん見ました。

そういった惨状を目の当たりにして『知らない、分かっていない、できない』を想定した声掛けや動きがこういう場所では大切だと痛感しました。

 

スタジアムという会場柄

出口の数がかなり限られていて、ライブが終わってからスタジアムの蒸されるような暑さとすし詰め状態の中、退場を数分待つのは地獄に近しい環境でした。退場の最中に倒れた人もいたみたいで、私の後方でも助けを求める声が上がってました。

(ホースで放水もしてくれていたのですが正直あまり涼しくならなかった)

 

撮影・録音

個人的に撮影録音自体は気にしないのですが、そのスマホのおかげで前が見えないのは勘弁してほしかった。。。

あとこれも個人的にだけど、「スマホ掲げるよりハンズアップで声援届けたい」派なのでスマホだらけなのは嫌だなぁなんて思います。

 

殺人的な高気温

もうとにかくこれですね。暑い。ひたすらに暑かった。

オリンピックが猛暑のせいで開催時期や時間を検討したように、今後は夏フェスも検討が必要かもしれないですね。暑すぎて思うように盛り上がれなかったり、観たいアーティストを見送ったり。そういうことが起こるとフェスに対する価値が揺らいでしまうので、暑さとはどうにか上手く付き合う方策を考えていきたいですね。

 

特に今年はニュジが出ていたこともあってかきゃわいい素敵な恰好をしている方が多くて、見るのも楽しいしそれは良いんですが熱中症だけが心配でした。(勝手に)

近年の暑さは尋常でないので、暑さ対策だけは万全を期してほしいです。

 

ロッキンとの違い

まず蘇我ロッキンの広大な芝生とサマソニのスタジアムやメッセでは環境が違いすぎます。環境要因からくる問題を比較するのは難しいですが、正直オペレーションに関してはロッキンに軍配があがると思いました。(昨年と今年だけしか見ていないですが)

観客だけでなく出演者も安心して楽しめるフェスに!!なっていってほしいし、していきたいですね。

体験とは賭けだ【チームラボ】

チームラボに行った。

 

チームラボで分かっていることといえば、触ると色が変わるボールがあるとか、なんだかすごくキラキラした空間が広がっているところ、みたいな漠然とした画のイメージしかなかった。

けど結論、チームラボは己の五感が刺激される、体験型の場所だった。

そして己の身体をそこに持っていかないとわからない、得られないこと(体験)を欲していた私にとって、それは待ち望んでいた空間・時間だった。

 

みなさんはないだろうか。

例えば○○という場所に行こうとしていたけど、SNSで下調べしたら他の人の写真や感想だったりの投稿がたくさん載っていて、行かずともなんとなくこういう場所なんだなーと分かってしまったり、なんなら行く気が失せてしまったり。

一番最悪なのは、実際に足を運んで事前に見た写真の感動を現実が超えなかったときだ。このとき感じるあっけなさは誰が悪いと決めつけられない。だからこそ行き場のないものとなり余計に辛い。

事前に情報収集してしまった自分が悪いのか、詳細写真をアップした投稿者が悪いのか、現実以上に綺麗に世界を切り取る高性能すぎるカメラが悪いのか、写真OKにした運営が悪いのか、期待以上のものを作れなかった企画制作が悪いのか、、、、もう考えても仕方がないのだけれど、そういうときは毎回「見なきゃよかった…。でもこれ見てないとそもそも行ってない可能性もあるし。」という想いが行き来する。

 

こういった点において、チームラボは秀逸だった。

私が事前に知っていた色が変わるボールややたらとキラキラした場所はもちろんあったが、それ以外の『写真や言葉では表すのが難しい』ようなものが多くあったからだ。

 

ということでこの記事の一旦の結論としては、

『他人の何かを通してではなく、自分自身の身体で体感して。』

ということになるのだが、都合で行けない人もいるかもしれないし何よりそれだとこの記事はここで終わってしまう。ので、言葉でその感覚だけでも伝わるように書いてみようと思う。あとこの後はネタバレ的要素があるかもしれないので、嫌な人はブラウザバックでよろしくです。

前提、ほとんど全部足元暗いしそもそも裸足

最初に書いておきたいのですが、これから書くところのシチュエーションは大体足元というか空間全体が暗い。しかも裸足。(裸足で参加は結構なネタバレではなかろうか。。。心配だ。)そのことを念頭に置いて見てね。

 

見知らぬ他人のせいで膝をつく

ビーズクッションが床一面に敷き詰められて、自分が踏むと凹んで足をとられるのはもちろん、全てのクッションが一体になっているので周りにいる人が自分の付近を踏んでもバランスが崩れて足をとられるのだ。

もちろんそれは私の周りの皆も例外ではなく、そこにいるほとんど全員がずっと転んでけらけら笑いながら出口に向かって闊歩していた。

個人的に、大の大人が揃いもそろってすってんころりんしている状況を見るのが微笑ましい&愉快で好きなので、このセクションはかなり気に入った。

 

通路の床も脇役じゃない

一つひとつのセクションが部屋みたいになっているのだが、その部屋ー部屋の間の通路の床にも、五感が刺激されるようなタイル??みたいなものがあって、例えば正方形のタイルが横一列に×4個並べられているとしたら、「ふわふわ・つっぱる・ごつごつひんやり・ふにゃふにゃ」みたいな感じで材質?質感?が全部違ってた。

隠れ○○みたいな感じでこれは気付いたときにテンション上がった。

 

”映え”ないところの方が多分人によっては面白い

こんな感じで書いてきたように、私が今回おもしろいなと感じたのは、大体暗い場所で、特にみどころが大々的にあるようなセクションではなかった。

けれどこういう人もかなり多いと思うし、チームラボもそういう、感覚を通して身体が空間や体験と一体となっていくようなものを目指している感じがしたから、私の場合はそれが成功しているのかもしれない。

そしてもちろん、”映える”ような空間も素敵なことには間違いなかった。使っている技術こそ目新しいものはないが、それをどう使うかによってここまで美しく新しく感じる体験が生まれるんだなと驚いた。(映えの写真もキレイなので置いとく)

LED??がたくさん糸状に吊られてた。キレイだった。

白濁した水に、プロジェクターで映像を投影。画像で見たときはスモークかと思ってた!

通路のライティングが控えめで雰囲気ある~~

ここのセクションは、黒背景の時は「無限に広がる空間」って感じでよかったけど白地背景の映像の時は「部屋感」あってもったいなかった気がする

お花だらけ~~夢で見るような風景だった!

楽しい場所だけど、来れない人も多分いる。

今回行ってみて感じたのは、足腰が悪い方や潔癖症(やかなりのキレイ好き)には来るのが厳しい場所だろうということ。

途中でかなり傾斜と水流がある場所があったり、布や床などどんな人が踏んだか分からないところを皆と同じように歩かねばならないのでしんどいかもしれない。(実際、年配のご夫婦の方は傾斜昇るの結構しんどそうにしてた)

あと明るさや暗さの行き来に目が慣れるのが大変な人も少し苦労するのかもしれない??

 

というかそもそも見知らぬ大勢(とんでもなく大勢)の人間がくつ下なしの素足で同じ場所を踏み、歩くことが現代では驚きではなかろうか。

自分は潔癖ではないが、個人的に他人の素足を見るのが得意ではないので暗闇だらけで助かった。

 

まぁつまり

初めにも言ったように、SNSが発達したこの時代、事前情報なしでどこかに遊びに行くことはあまりしない人が多いだろうし、もはやそれをするならば一種の”賭け”だろう。だが、そこに自分の身体を持って行かないとわからないもの、というのはその賭けが当たっても外れても楽しいものだと思う。

インスタの投稿やグーグルの口コミで分からないような体験を、私自身したいし、ぜひしてほしいと思う。

洗濯機の下の100円玉

私はシェアハウスに住んでいる。

一応断っておくが、間違っても某リアリティー番組のようなお洒落なものではないし、込み合った恋愛事情も存在しない。

 

そして今、その脱衣所には100円玉が落ちている。

洗濯機の下に潜り込んでいるが、浴室から気づけるところに落ちている。

そしてそれはこの3週間、ずっとそこにある。

 

誰か気付いていないのだろうか??

私は財布を浴室に持ち込まないし小銭を裸で持ち歩くことはないので、その100円玉は間違いなく私のものではない。なので拾わない。

 

みんなに声を掛けようかとも思ったが、そんな3週間も忘れられた100円なんてそもそも自分のかどうか覚えていないだろう。きいたところで該当者不明からの私のものになる未来が見える。

いっそ何事もなく拾えばいい、とも思ったが、公道で落ちているどこぞの赤の他人のかも分からない100円玉ではなく、間違いなくここの住人のうちの誰かの100円玉なのでなんとなく忍びない。

 

それかもしくは存在を忘れてずっと放置し、このシェアハウスに古くから伝わるものとして家と共に歴史を刻む100円玉になる、というのもアリだななんて思うのだが、本来価値あるものとして色んなものと交換され多くの場所を渡り歩くはずの100円玉が、うっすら暗い洗濯機の下でほこりをかぶっている様子をまた忘れた頃に見つけるのは、想像しただけで気が引ける。

 

 

今の私は、みんなの水回りの散った水滴を拭き上げ、洗面器に落ちている髪の毛を拾うような気遣いができる人間よりも、その100円玉を躊躇するという思考すらよぎる暇がないくらいに躊躇なく拾えるような、そんなほんの少し無神経で図々しい人間になりたいのである。

あーあ。ある日誰か気付いて拾ってくれればいっそのこと清々しいのに

”それっぽい”という魔力

私は気付いてしまった。

 

事実、『相反している、共存しないであろうようなことを書けばそれっぽくなる。』ということに。

 

冷たいようで暖かい

硬いようで柔らかい

突き放すようで寄り添っている

雑なようで丁寧

永遠のようで一瞬のよう

何も気にしてないようで周りばかり見てる

無秩序なようで秩序がある

名誉ある不名誉

喧噪の中の静寂

非凡なる凡人

計算し尽くされたナチュラルさ

 

言葉の意味はさておき、なんとなくそれっぽくて「分かってる感」が生まれている。

これはすごい発見だ…。

と同時に気付いてしまった&記事に書いてしまったことにより使うのが憚られることになるだろう。もう完全に自分で自分の首を絞めている。クルシイ

 

 

そして最後に

これを書き始めたときは、こういう書き方をすればそれっぽい感じは出るけど、そもそも一面的なヒト・モノ・コトなんて存在しないのだから当然っちゃ当然のことを書いてるのでは(!?)なんて思ったりする自分がいた。

でも書き進めるうちに「いやでもみんなが当たり前だと思うことを文字にして、文章にして、言葉にすることこそが難しいんだよなー。当たり前に見えることにちゃんと気付いて、それを言葉に起こした結果があれなのか。とするとそれっぽいことを書けることってやっぱりすごいや。」と思い直した。

 

 

ということで私が”それっぽいこと”を言ってても見逃してくれます、よね(??)

くしゃみvs.おなら

突然だが、皆さんはくしゃみとおならだったらどっちが恥ずかしいだろうか。

恐らく、母数100人程度でかつ逆張りをするような回答者がいない限りは全員が「おならのほうが恥ずかしい」と答えるでしょう。

 

さて。

というところで皆さんにききたい。

なぜくしゃみよりおならのほうが恥ずかしいのだろう。

 

 

私が思うに、最初は「くしゃみは鼻から出るものでおならはお尻から出るものだからかな??お尻は排泄物も出るところだし、部位として鼻より汚いイメージがあるからかもしれない。」と考えたのです。

 

くしゃみ・おならを飛沫やガスではなく空気(=風)が出ていると考えて、前提を【風よりもくそのほうが汚い】と置いた場合、さっきの考え方の

①(出てくるモノに関係なく)鼻よりお尻のほうが汚いから」

というのと別でもう一つ、

②(部位は関係なく)くそは汚いから

という異なる2パターンの考え方があるように思います。

 

まず①の場合、恥ずかしさランキングは想像どうり、

1.排泄物 2. おなら 3.鼻くそ 4. くしゃみ になるはず。 

しかし②の考え方の場合は

1. 排泄物・鼻くそ 3. おなら・くしゃみ となり決められないことになるんです。

 

それに、上の2つの順位通りだと「おならのほうが鼻くそよりも恥ずかしい」というのは決定事項のはずなんですが、実際鼻くそとおならを比較してアンケート取ったら結構割れる気がしてるんですよね。

つまり、そもそもこの考え方は初めから違うという可能性がある。。。

 

じゃあみんなそういう生理現象の恥ずかしさをどこ由来で感じてんの??ってかんじです。(常識とか世論とか以外のところで)

そして私には、初対面以外だったらどんな人前でもおならかませちゃうような”例外”を地で行く友人がいたので、余計にその判断基準が不明確になりました。はい。

 

 

という感じで正直オチはないんですが、気心の知れた友人たちでこの議論をやるとけっこう盛り上がると思うのでぜひに使ってください()


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観葉植物購入で私に起きたこと

実は最近、ずっと願っていた観葉植物を家に迎えた。

そしてここ3週間ほどちまちまと育ててきて、家に植物を入れることには癒しやリフレッシュ以上の意味があると感じた。

それとは、手のかかる・気にかける存在ができるということだ。

 

 

初めにどんなのを買おうかと考えたとき、植物の種類に関しては全く知らないので決めなかったけれど、「ちょっと手間が要るような、育て甲斐があるやつ」というのだけは決めていた。

さいころ、フサフサとした青々しい葉が付いている観葉植物を買ってはことごとく枯らす母の姿を見てきて「葉物はダメだ、買うなら多肉だな」と思っていたはずなのに、いつの間にか考えが変わっていた。(そういう自分は小学生のころにサボテンを枯らした。)

 

最初の話に戻るが、実際に育ててみて、いわゆる掃除や自炊と同じような効能が得られるのが観葉植物を育てることなんだなと感じている。

ただ、掃除と自炊というのはしなくても自分は生きていけるもの。

けれど、きちんと気にかけ適切に育てなければ観葉植物というのは枯れ、死んでしまう。

 

この『自分のことなのか、そうでない自分以外の生命体のことなのか』という違いがかなり大きくて、自分のことは「自分に返ってくるだけだからどうでもいいやー」と思えても、植物はそうでないので「ちゃんとしなきゃ」と思わせてくれる。

し、そんなちょっと手のかかる存在がいることが嬉しいのである。

 

全てが適当な方に流れてしまいそうになるときに、この手のかかる存在が「やったらおれはどうなんねん!」と繋ぎとめてくれる。

それこそ、「買う」ではなく「飼う」ということだなーなんて思う。

 

そんな植物たちが家に来てからは、起きてその変化を見るのが楽しい。

例えばこの前は2日家を空けていたら、多めに給水しておいたはずのポットの水がカラッカラで給水量に驚いたり、買ったときに付いていた葉がぽとぽと落ちるので何事かと思ったら葉が取れたところから新芽が生えてきたり。(葉が生え変わるのではなく茎が伸びて成長するタイプだと思っていた)

 

いつもは何をするにしてもあらかじめ調べつくしてしまう人だけど、なんとなくの予備知識しか無いと逆に知らないことばかり起きて面白いので、次新しい植物を迎えるときにも基本のき、みたいな情報だけであとは思うように育ててみるのもアリだなと思っている。

 

ぜひ皆さんも観葉植物、どうぞ。🍃🍃

ベランダが無かったり大きいのが置けない人は無印の観葉植物おすすめです。

四畳半神話大系を取り囲む入り組んだもの

原作者の上田誠が言っているようにここ「四畳半界隈」は非常に入り組んでいる。

なにがって???

長い時空と多くのメディアたちと畳の世界が。である。

小言を言うよ

四畳半神話大系、皆さんはご存知だろうか。

私は今回小説を初めて読んだのだが、はじめに一つだけ関係者に小言を言わせてほしい。というのもこの作品には、まるで兄弟やいとこみたいな作品が多く存在するのだ。

一応挙げておくと・・・

小説の四畳半神話大系があって、

劇団の演目のサマータイムマシン・ブルースがあって、

実写映画のサマータイムマシン・ブルースがあって、

TVアニメの四畳半神話大系があって、

アニメ映画の四畳半タイムマシーンブルースがある。

 

とまぁこんな感じでそもそもの原作以外にも、アニメ化、映画化、更には融合(!?)と、何が何なのか分からなくなるほど派生作品が多いのである。派生作品たちをまとめました!!みたいなページサイトがあってもおかしくないレベルだ。(というより欲しい。)

 

という感じで前置きが長くなり過ぎたので、小説の感想はシンプルにいこう。

四畳半神話大系 あらすじ

舞台は京都市。 主人公は「私」。 京都大学の3回生である。 その「私」が、どのサークルに所属するかによって、「私」の学生生活、更には「私」の周囲の人にまで起こる変化が描かれている。

同情からくる惨めさと憐み、慈しみ

まずそもそも大学という場で、友達は少なく、恋人もおらず、勉学に励むわけでもなく、みたいな冴えないキャンパスライフを送ってきた私は、同じく冴えないキャンパスライフを送っている、この四畳半神話大系の主人公である【私】という存在をどうしても自分と重ねずにはいられなかった。

キャンパスライフの過ごし方以外にも、目の前のその友人に執着していないように見せても、その友人は自分と違って居場所がたくさんある人間なので結局寂しさを感じていたり、あと石橋を叩いて壊すような思考の仕方だったり。

 

似ている。

話を読み進めながら、自分を見ているようで共感というより同情のような、いやもはや同情すら超えて同類としての慈しみみたいなものと開き直ったような気分とになっていた。

”可能性”は無限大だけど無限定には使わない

可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。

我々という存在を規定するのは、我々が持つ可能性ではなく、我々が持つ不可能性である。

これは私がこの作品で最も印象に残った言葉。

でも結局これが言ってることは

『今そこに立ってるおまえという存在は、今日これまでという、時間と物事の積み重なりが生んだものでしかない。』ってことでしかなくて、例えば「あなたは誰ですか。どんな人ですか。」と訊かれて未来のことだけで自己紹介する人はいねーだろうよ。

みたいなことでしかないと思う。

つまりそんなに難しいことを言っているわけではないと思うが、それを自己啓発本とかの中で使われるのと、小説の日常の中でその空気感で語られるのとでは全然納得度が違うなと。

 

というのも、私は日頃から良い方の可能性も悪い方の可能性も考えすぎて動けなくなってしまう人だった。(今もそうだけど)

ただそれよりもっと、何かを決めて前に進めば、何かを捨てたり出来ないことの白黒がつくからこそ「可能性」に縋り付いていたんだ、と気付いたのはここ1,2年の話。

 

とまぁそんなことがあったので、この

「何かをやったり選んだりしてダメだった、という経験・現実からくる不可能性こそが自分を自分たらしめる。」

≒『不可能は自分を否定するものではなく、ただ「それが不可能である」と規定されるだけ』

という言葉は共感したし、読んでからしばらくも反芻させて噛み締めていたくらい染みた。

 

じゃあどんな文脈でこの言葉が語られるのか、というのはぜひ自分で読んでほしい。

 

次はアニメだぜ

この『小説版 四畳半神話大系』や『実写映画 サマータイムマシン・ブルース』を今までに見てきてアニメがとてつもなく気になっているので、私は次はアニメを観ます。

が、関連作品のどれから見るかは自分次第。初めの方に書いた関連作品たちは特に時系列での前後関係もない(と思う)ので、興味が湧いた順番に見られるのも楽しい。

四畳半の世界の「私」のように、どの作品から見始めても結果は同じ。なのかもしれない。


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XGとNWJNSが席巻するこの夏

暑い日が続いてますが皆さんブチアゲな夏をお過ごしですか??

私は暑すぎて溶けるわ~とか思っていたところ、この一週間で「野外音楽フェス」の楽しい話題が続々と押し寄せてきて人間の形を取り戻したところです。

 

今までは国内フェスしか見てこなかった自分ですが、今年は海外フェスにも目が釘付けなんです。その理由は。。。

《《《今最高にアツいXGちゃんとにゅじ(NewJeans)が出ているから!!!》》》

どちらも昨年2022年にデビューしたグループですが、この2グループは今までの棲み分けでは括れない、色んな枠を超えたグループだと感じているし、SNSを見ていてもそう感じている人は多いなと。

 

その2組が出ているフェスなんですがHead In The Clouds】と【Lollapalooza】というもの。海外フェスなんてもうコーチェラしか知らなかったので早速ググってみると、なんとlollapaloozaはステージが8個もあるんです。。。さすが北米開催は規模感が違うぜ…

最高でした。長めの総括

フェスはオーディエンスとのコミュニケーションによって生まれるあの熱気の渦と一体感、それによって引き出されるアーティストの爆発的パフォーマンスが醍醐味ですが、そうした観客や環境とのシナジーが生まれた今回の野外パフォーマンスによって、XGちゃんとにゅじたちの魅力というか、音楽人としての強さを確信しました。

 

というのも、両グループとも制作チームがバケモンレベルなので「制作物を体現していく、表に立つアーティストとしての彼女たちはどうなのか」という目が必ず付いて回ると思ってます。

 

ただ正直、XGちゃんもにゅじたちもdance practiceやビハインド、音楽番組でアーティストとしての基礎体力は十分証明していると思うのですが、やはり野外でかつ完全にホームではない環境とバックでの演奏や音響、舞台がいつもとは異なる中でのパフォーマンスは、良くも悪くもいつもとは違った彼女たちが見られる機会でしょう。

 

そしていよいよ、ワクワクドキドキしながらのライブ配信視聴。。。

 

そこには観客と通じ合いながらのびのびとパフォーマンスをする彼女たちがいました!

(結局、本人たちが楽しみながら演っているのがファンからすると一番嬉しいもんだよね。)

どんな環境でも、どんな媒体でも、どんな楽曲でも自分たちだけの色を出せるのは本当に強いし、観ているこちらもワクワクが止まらないんですよね。

新しい一面が見える度に見比べたり聴き比べたりが楽しくて、MV⇒音楽番組⇒ビハインド⇒フェス映像 のループが止まらん。

 

リスペクト溢れる、XGステージ(@HITC LA)

「カメラワークが良くない」

「バックダンサーと衣装が似ててメンバーが識別しにくい」

といったコメントも見ましたが、私はこの2点に関しては気になりませんでした。

 

バックダンサーって見た目を統一していることも多いけれど、今回はあまり統一感は無く。それはシエナクルーだからというのもあるかもしれないですが、今回は統一感や映し方によるメンバーとの差別化はそもそもそこまで重視されていないように感じました。深くリスペクトし合っているからこその、あの演出だったのではないかなと。

たとえ今回のシエナチームのように有名なダンサーでない場合でも、バックダンサーたちに自我が感じられるときってアーティストと一緒にステージを作り上げている『チーム感』がマシマシになる感じが個人的に結構好きなんですよね。

まぁとは言え、アーティスト自身が纏うオーラの有無も大切だし、バックダンサーの自我も押しつけがましいものではなくて、自然に出るものであることが大切だとは思います。

それが今回は両方ともきちんとバランスよく成立してた、ので気にならなかったんだと思います。というかむしろ良かった!!

 

斜め後ろからのアングルや天カメも多くライブ映像に使われていて、フォーメーションやステージと会場の雰囲気も感じられたところが「野外音楽フェスならでは」という感じで良かったです。(いつものアングルなら音楽番組で見られるからなーと思ってる)

途中のマーティンちゃんBDサプライズもハッピーで良かったですよね~ありがとう!

 

初々しいけど頼もしい、にゅじステージ(@Lolla)

ライブ配信見ていて中盤くらいで気付いたんですが、にゅじはまだ持ち曲が多くないので持ち時間45分だとリリース曲全曲披露できちゃうんですよね。いやーー豪華だな。(コカ・コーラマシッタ~~♪は例外でしたが)

こんなに長時間、しかも暑い屋外で歌って踊って…をお客を前にやるのは初だと思うし、どんな感じになるんだろうとドキドキしてたんですが、めちゃめちゃ生パフォーマンスでしたね。。。

生歌やアドリブダンスが正義だ!と言いたいわけではなくて、観客と意思疎通し合って生まれたそのときの感情だったりをパフォーマンスに乗せることができるのが生歌とかだと思っているので、ミスのないパフォーマンスよりもそれをやってくれる姿勢が「好き!!」と思いました。

 

からのlollapalooza ver.のバンドアレンジが乙。ファンによって色んなアレンジが生まれて、そのどれもが似合うにゅじの楽曲を「お米だ」という人を見たけれど、まじでその通り。白米にゅじ。

そして目頭の多めに乗ったハイライトが力強い日差しに負けずにキラキラ映えててメイクちょー可愛かった!推しのへインちゃんは今日も無事かわいかったです)))

ちょくちょくカメラに映る観客の人たちが、デコったTokki棒持ってたり、シルバニアのうさぎちゃん持ってたりうさぎ耳ニット帽被ってる人もいたりと、にゅじちゃんと同じくらいファンのみんなもおきゃわだった。最高だよBunnies~~

 

まとめ

総じて「野外音楽フェス最高やな!」となりました。

これを機に海外フェスもチェックしたいし、その他の出演者も聴いてみたい!!

この夏ビッグムーブメントを起こしている彼女たち。そんな夏、あなたは何をしますか??そしてぜひそのお供に彼女たちの音楽を。


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演劇『女装、男装、冬支度』を観た

東京に来てやりたかったことのうちの一つ。観劇。

それを最近ぼちぼちと実現させている途中なのですが、最近観た演劇が面白かったので紹介させてください。

あ、まずはじめに感想だけ一言で!⇒ 奇妙、絶妙、妙ージカル。

 

『女装、男装、冬支度』

FUKAIPRODUCE羽衣

@吉祥寺シアター

7/21-7/30

 

まず会場に入って席に着くとフライヤーだけじゃなくて歌詞カードみたいなものがあり、一瞬「?」と思ったのですが、最前列の座席に座れたのでとにかくワクワクしてました。そして他のフライヤーを見ながら開演を待っていると、

 

ひらひら……

きらきら……

 

なにやら舞台上に微かに落ちてくるものがありました。

それは照明の光をうけとても綺麗で、ずっと見とれていました。そうして見とれていたらその落ちてくるものの量が段々と多くなってきて、いつの間にか舞台は始まってました。そんな始まり方に驚きながらも、現実と作品の世界が徐々にすり替わっていくような不思議な感覚にしばらく包まれてました。

舞台のステージ床も少し毛羽立ったような白い布の素材になっていて、それが本当に雪が降り積もっているみたいでした。まるで踏んだら足跡がつきそうな。

 

開演してからは、最前列で団員さんたちの力強さとか顔を流れる汗とか、そういったものを間近で見て圧倒されたり、感嘆したり、息をのんだり、クスッとなったり。。。

 

そういった演技はもちろん、個人的には音効や照明、劇中の音楽がとっても良いなと思いました。

音楽多めだったのですが、その音楽が詞も曲もとにかく頭に残る…。

子気味良いギターに意味が分かるような分からないような歌詞が乗った音楽になっていて、音楽が流れる度に心躍る感じがありました。楽しかった。(笑)

さっき書いた始まりのシーンの照明もそうなんですが他のシーンの照明も綺麗だったし、特にラストにはミラーボールが使われた幻想的な描写もあるので、ぜひ自分の身体で感じてほしいです。

(本当はもっと詳細に書きたいけど、いつか見てほしいので今回は書かないぞ…)

 

あと衣装も自分が好きな感じで、ずっと「男性も女性もみんな恰好が可愛いな~」と思いながら見てました。特に深井順子さんの「モヘアカーディガン・ティアードワンピース・ストラップシューズ」の組み合わせがご本人にピッタリで、可愛すぎて心の中で悶えてました。))))

 

そしてこの企画・制作・主催をしているのが【FUKAIPRODUCE羽衣】という団体で自称「妙ージカル」を上演しているのですが、本当に妙ージカル、でした。

この作品は詞的な要素も強く、更に楽曲も多く劇中で披露されるのでミュージカル感は確かにあって、、、お話の内容に関しては、不可解なことも多いのにそれに対して場面説明的シーンも無く進んでいくんですね。

それらが奇妙であり、でもきちんと伝わってくる絶妙さがある。

奇妙、絶妙、妙ージカル。。。。

初めにも書いたんですが、こんなことが頭の中に浮かんだ帰り道でした。

(観劇し終えてから知って驚いたんですけど、役名が芸名と同じというか、役名が無い?感じだったんだけど、これって演劇界じゃ普通ですか???)

 

こんな感じで演劇の内容も良かったし、吉祥寺シアターという場所も今回初めて行ったのですが雰囲気も良く、座席もどこでも見やすいような良い傾斜とサイズ感の箱でした。

吉祥寺シアターでの公演は一旦千秋楽を迎えているのですが、三重でも8月19日からやられるみたいなのでお近くの方はぜひ!

www.fukaiproduce-hagoromo.com